オタワ愛徳修道女会
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今日の祈り

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喜びの訪れ


マタイ福音書で祈る

  2月9日から11日に本部修道院にて山内十束師(ご受難会)ご指導で、マタイ福音書を読み祈る3日間を過ごす恵みをいただいた。 年度黙想会に引き続いてマタイ福音書をテキストとしたが、今回はご受難の黙想から始まり、ご復活へと歩んだ。

本当に主イエスはインマヌエルいつも共にいて下さる方~26章36~46節
  38節でイエスご自身が最も親しい弟子3人に『私は死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、私と共に、目を覚ましていなさい。』と言われる。 イエスが弟子たちに「ここを離れず、私と共に、目を覚まして祈っていてくれ」と願い、イエスが、少し進んで祈って弟子たちの所に戻ってご覧になると、 彼らは眠っていた。2度目に向こうに行って祈ってから弟子たちの所に戻ってご覧になると、弟子たちは眠っていた。 44節では『そこで、彼らを離れ、また向こうへ行って、三度目も…祈られた。』ここでは、インマヌエルであるイエスがご自分から弟子たちを離れられる。 そして45節、祈ってから弟子たちの所に戻ってきて言われたのは『あなた方はまだ眠っている。休んでいる。時が近づいた。 人の子は罪人たちの手に引き渡される。…』である。

  一度目、二度目に祈りに行くときには、弟子たちの祈りや支えを求めておられたイエスが、 三度目に祈りに行くときには、ただ一人(独りで)で父に向き合い、これから自分の身に起こる苦しい出来事は、自分の出来事であって、 いくら親しくても弟子の誰かの出来事ではない、彼と共に担って行けるものではないと、心の奥底で受け止められたのだろう。 その過程には、「父よ」と祈り、御父と親しく交わり、弟子たちにも分からないような何かが起こったのではないか。 『あなた方はまだ眠っている。休んでいる。時が近づいた。人の子は罪人たちの手に引き渡される。…』と言われるその場に立ち会わせていただいて、 主イエスの口調と眼差しの穏やかさや温かさを感じずにはいられない。御父とご自分のこととして、すべてを受けとめて、引き受けて歩んでいく、 苦しみ、痛み、不安等々は覚悟して。

喜びの訪れ   「主イエスがこの受難の出来事を自分事として引き受けられたのは、他でもないこの私のためだったのだ。 私には、恐れのために閉ざしてしまい、ここから一歩出なければまずい!何とかしなきゃ…と堂々巡りし闇に閉ざされていくパターンにはまってしまう弱さがある。 だからこそ主イエスは受難の出来事を自分事として引き受けられ、「私だ、恐れないでいい、共にいるから出ておいで、歩もう。」と私の心を開かせて立ち上がらせて下さる。 この主イエスだから、大丈夫なんだ!一人ひとりを大切にし、一つにして下さる主イエスがいるのだから。感謝!

  タイ福音書を読み祈る講話を聴き、四旬節そしてご復活へと、毎日、主イエスと共に歩んで行ける、そう思えた。   (YT)



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