あざみ野養成共同体では、毎月のアニメーションをもとにした静修の分かち合いの後、創立のカリスマ、創立者について分かち合いをしました。4名の共同体中1名が有期誓願者です。頭文字でそれぞれ示しています。
- K
- まず静修で祈り、気づいた「本会でこれはなくしてはならないものは何か」について、分かち合いましょうか。いかがですか?
- I
- 創立の精神は、シンプルにフランシスコ教皇が言うように「野戦病院のようにリミットなしに受け入れる。
癒すに尽きる。これがあったからオタワ愛徳修道女会に出会った。オタワのシスターたちがニーズに即して動いていた。
だから疲れて病んでいる人をオタワ修道院に連れてこられた。リミットなしに受け入れる。それが「野戦病院」。
全員に余裕がある時はない。その時々、オープンな人が受け入れる。それを周りも受け入れる。それで良い。創立者もそれを生きた。
エリザベット・ブルイエールは、本を読むほどに、ひたすら必要なことを始めた姿が特徴。
まさにバイタウンの「野戦病院」だった。最初に修道院を始めるというより、自分たちが常に人々の必要を優先して動き、
それが修道院という形になった。
- U
- 全体的に黙想したのは、S.C.O.(オタワ愛徳修道女会)の霊性とカリスマ。霊性を祈った。三位一体の霊性。
イエスという道、聖霊の働きのもとに聖母マリアと共に御父に向かう。
マリア様の取次でイエスと共に御父に向かうことがオタワ愛徳修道女会の霊性、そのことを再確認できた。
会固有の召命「コンパッション」は創立者に与えられ、会員の中に流れている、それを持った人たちが会に集まってきている。
今の時代に会員一人ひとりが置かれている場で、出会う一人ひとりを大切に注意深く関わっていく。
私たちの会は事業を持たない。いろいろなところに派遣されているところで、それを生きることで、私たちを必要とする人たちとつながっていく。
- E
- いのちの道(会憲)2項 本会固有の使命「会のカリスマを生きようとする私たちは、教会と世界の必要に応じ、教育の使命と貧しい人々への奉仕によって、
おん父のいつくしみを表そうと決意します。」が会でなくしてはいけないものだと感じる。
- K
- 困窮している「その人」のために何ができるか考え、創造的に動く。
それが別の言葉でいう「貧しい人への愛」。会として無くしてはならない「いのち」。
それは「あなた」のところに近づいていくこと。神さまは、私たちをそのように絶えず促している。
そのように他者の必要に応じるのが本来の教会、修道会。「動く」状態。人の幸いのために動く=働く=神さまのみ旨が第一。
創立者たちは絶えず「あなた」に向かっていった。
求められる共同体の姿
- I
- 今の教会は野戦病院とは言えず、ビニールハウスのような感じがする。
今という時代、S,C,O,が会の精神を生きるためには教会の派遣に頼るのではなく、苦しむ人のニーズを感じて応じていく。
新しい試みに挑戦する人をストップしない。今は、以前のようなトップダウンではなく、一人ひとりがカリスマをしっかり生きる時。
- U
- 共同体の中での対話や分かち合いを通して、いろいろな角度から同じ目的に向かっていける共同体でありたい。
- E
- 会のカリスマを生きるために、それぞれの姉妹が神さまからいただいている賜物を最大限生かせるようにお互いが協力していくこと。
- K
- みんなでイエスの望みを求め方向性を確認し合える共同体は柔軟性があって動きがある。「私は、こう思うけど、あなたはどう思う?」と共有するためのプロセスを踏める。同じ会のメンバーとしての姉妹の思いを知りたいし、私の思いも知ってほしいという関係性をもっと築けたら。
「一人ひとりがいただいている能力やタレントを互いに生かせたら」
- K
- 先ほどまで前回までのアニメーション分かち合いをしましたが、それを踏まえて、オタワ愛徳修道女会、創立者、カリスマ、それを生きる自分について新しい気づきはありましたか?
- I
- 上からの考えを待つのではなく、やっぱり自分たちのほうから、うちの会は今、これ大切にしないとね、日本の管区ってこうだねというものが出ていく動きのほうがしっくりきます。
震災10年目を迎える今、特に自分は、その体験と確信で入ってきているので、その体験から感じ取ったオタワ会が出てくる。
そういう一人ひとりの体験が自然に語り合える「場」が大事。
- K
- さっき分かち合いで出てきたように、一人ひとりがいただいている能力、タレントを生かすということにも関連しているのでしょうか。
一人ひとりが大切だと思っていること、例えば、私は震災10年目だからこのことを、共同体で一緒に振り返ることで会の特徴を再確認したいというように。
- I
- そうですね。それぞれの確信を得た経験などが自然にでてくる機会があったらいい。自然にそういうことが話せる共同体でありたい。
「自分がこれだと心動かされることを見出せたら」
- I
- 私は体験型。新しい召命の場合(新しい人がこれから修道生活に入ろうとする時)、
より体験型(人生を変えるような体験をして生き方を考える)になっているのではないか。
だからこそ、会員一人ひとりがどういう生き方をしているのかを見られている。日常の場で体験を分かち合うことが大切だと思う。
- K
- 個人の生き方が見られるということは、その個人がつながっている共同体を見ることにつながる。
- E
- 私が、アニメーションの分かち合いの時に、
カリスマを積極的に生きる共同体の姿として「会のカリスマを生きるために、それぞれの姉妹が持っているもの、
得意分野などが最大限生かせるようにお互いが協力していくこと。」っていう意見を出したのは、
その人の学びや資格がなかなか生かし切れていないと感じるからです。
私は、入会してから何の違和感もなくオベディアンスを受け入れてきました。
それは、私が自分自身を知らず何に呼ばれているのかわからなかったからだと思います。
学校に行かせてもらい、今の仕事(介護職)に携わり自分自身ありがたいなと思う。
長上からの派遣を、自分なりに生きてきたけれども、自分の心を動かされたことに従事し、本当に「その人」のために生きているという実感が今強い。
会のカリスマに生かさせていただいている。
- K
- 私は長上から「行きなさい。」って言われたところに行き、そこで自分なりの創造性で出会った「あなた(苦しむ人達)」という相手に関わってきた思いが強い。
派遣された場で、自分なりの、そしてオタワ会としての生き方をしてきたと思っています。
「行きなさい。」と言われたところでその人らしい関わりは作れると実感してきました。
派遣された場で大切にしてきたことは「ひたすら」さです。来日50周年の時のテーマ「ひらすら信頼を糧として」のひたすらさ、
それが私にとっての創立者ブルイエール、カリスマでありオタワ会の生き方。「ひたすら」相手のために動く。
派遣をどう主体的に「ひたすら」生きるのかが問われるし、そこが醍醐味だと思う。
- I
- シスターKの言うことはわかる。けれど、シスターには、ライセンスがありそれを生かす派遣だったのではないでしょうか。
その人にどんな能力、持ち味があるのか本人も、長上もわからないまま行かなければならないとなかなかむずかしいのでは。
- E
- 私の転機は職業訓練学校での体験が本当に大きかったです。生活するために、なんとか技術を身につけようとして懸命に勉強する人たちの中で私自身が本当に目を開かせられた。
- K
- 別の世界に入ったくらいの衝撃を受けたんですね。
- E
- これまで、「苦しむ人たちのことを知っているつもりでしかなかった。」ということがわかった。
- K
- 聞いていて、使徒的修道会として、養成で何を大切にしていくかとつながっているとも思えました。
その人が生かされるために、その人自身が何に心が動くのか、いただいているタレント、持ち味が何なのかを初期養成期間中に知っていくことは大切。
ここ、あざみ野共同体が養成共同体であるので、みんなで意識していけると思う。派遣されるために養成されるべきステップが見えた感じ。
- E
- 自分自身が成長する過程を通っていくことが大切。
自分自身を受け入れていくという前提があってその人が生かされると言うことができると思う。
貧しい人と共に生きる。そういう本当に生きる実感をこの何年間教えられた気がする。
「カリスマは、それぞれの体験の中にある」
- K
- オタワの共同体がどうであることが、カリスマを生きることを助けると思う?
- U
- 創立者は、その当時の時代からの要請、自分がそこで感じたニーズを修道会内で報告し、相談し、行動していけたんだと思った。
今、こうして一人ひとりの話しを聞きながら、相手があって動いていく、それをお互いに分かち合っていく、体験を互いに語り合うことが、共同体全体がニーズに応えることにつながるのではと思う。
- I
- 今の発言にリンクして、共同体の動きの中でその人の体験がシェアされ、みんなを巻き込むことになるとそこにカリスマを生きる力が出てくる。
- K
- 会のカリスマを、一人ひとりが自身のいただいている賜物を受け入れて、それを使って他者のために動き、共同体でシェアする。
誰かが動き、周りが影響される。ということが出てきましたが、では、今、会として考えていくことは何だと思いますか?
- E
- 例えば、本部であれだけ大きな建物をもっていて修道会が生かし切れていないように思う。
それぞれの賜物を生かすと同時に本部修道院がどう動くのかの方向性を一緒に見出していくことがチャレンジかな?
- I
- 誰かが、これしてみないっと言って本部を使って動く。その時その動きを止めないことが大事では。