「すべての人間は障がいを持って生まれ、生きている」という記事を読んで話題となった。「私の障がいはなんだろう」と話しているうちに、一人ひとりの障がいが言語化された。それは共同体として互いを理解するために大きな出来事となった。
確かに、神が私たちにいのちを与え「生きよ」と言われたが、完成されたいのちではなかった。「私の欠けたところはこれだ」と話しながら「欠けたところ」を補うために「助け手」を送り、補い合う生き方、それが神の思いかもしれませんね。
私の欠けているところを補い合う共同体、姉妹的生活にしたいものですが、理想と現実はかけ離れています。私たちの力では無理、み摂理の神に信頼して「助けて!」と叫びながら、楽しく生きています。